縛られ地蔵尊・南蔵院

相嶋造園

偶然出先の近くにあることを知った、縛られ地蔵尊・南蔵院。あるなら行くに決まっていますね。

 縛られ地蔵という名前を初めて聞いたのは、子供のころに食べたどら焼きです。それから、うさぎやを知るまでの10年間、おいしいどら焼きの代名詞は、’縛られ地蔵’でした。越谷、草加近辺の方なら、縛られ地蔵のどら焼きのおいしさは、贈答用の定番であるとお分かりいただけるでしょう。
 どら焼きが先行していたため、本来名の由来になった縛られ地蔵尊にお会いしようとしたことがありませんでした。今回、家族で水元公園に遊びに行った際、すぐ近くに縛られ地蔵尊がおわしますことを知りお参りしてきました。

 水元公園から約10分、道を知っていれば5分でしょうか、すぐ着いちゃいます。立派な山門をくぐると、先ずは御手洗に。先にお会いしたのは達磨さん(名物の結びだるま)。目が梵字なのがお寺だと実感させられます。

 本堂の前に立つ、樹齢350年聖徳の松。すごい力強さを感じます。南蔵院は、在原業平に由来する天台宗のお寺です。号はそのまま業平山東泉寺。びっくりするほど歴史あるお寺です。縛られ地蔵だけがこのお寺のメインではないと恥ずかしくなりました。元は業平橋脇にありましたが、関東大震災以降、こちらに移転されたそうです。

 奥にいらっしゃるのが縛られ地蔵尊。盗難除け、足止め、厄除け、縁結びなど、あらゆる願い事を聞いて下さる霊験あらたかな地蔵尊として祀られています。
 像高1メートルほどの石の地蔵尊で、元禄14年(西暦1701年)の造立と伝えられています。「文政寺社書上」によると、この地蔵尊は諸願成就、殊に難病平癒に霊験があり、祈願するときは地蔵尊を縄で縛り、成就したときには縄を解くことから、しばられ地蔵と称したと記されています。大晦日に縄解き供養が行われるそうですが、一年でこれほど願がかけられたわけです。

 縛られ地蔵の由来は、有名な大岡裁きから来ています。よくどら焼きに入っていた縛られ地蔵のリーフレットを読みました。

 享保年間、吉宗、大岡越前時代の話です。呉服問屋越後屋の手代弥五郎が南蔵院前を通りかかった時、一休みしようと背負っていた反物をお地蔵様の横に置いて休んだところ、うっかり寝入ってしまい目覚めた時に大事な反物が無くなっていることに気がつきました。弥五郎があわてて奉行所へ駆け込んだところ、大岡越前が「門前に立ちながら盗人の所業を見逃すとは、ふとどきせんばんな地蔵である。その地蔵を召し捕ってまいれ」と命じ、縄で縛られた地蔵様が台八車に乗せられ奉行所に召し上げられました。

 その様子をみた江戸市民はもう大変。江戸中にその話が広がり、前代未聞の地蔵の詮議を見物しよと、我れ先と奉行所の白洲に江戸市民がなだれ込みました。ところが大岡越前は集まった民衆に対して「天下の奉行所をなんと心得る。野次馬連中に木綿一反の過料を申し渡たす。」との鶴の一声。やがて山と積まれた反物の中に盗品が二反が紛れ込んでいるのが判り。吟味の末、盗人はお縄となり「これにて一件落着。」

 以来、盗難厄除けをはじめ、あらゆる願いごとを叶えてくける地蔵尊として、庶民に慕われてきました。

 聖徳太子像を祀る太子堂。この前に植えてあるので聖徳の松ということですね。境内の立札は樹齢350年になっていましたが、HPでは450年と書いてありますね。100年くらいの誤差松には同じ?裏手には小道がありました。短いですが、ここ歩くとおもしろいです。

 途中にあった水琴窟、曼荼羅、蛇石。なぜここに?と思っちゃいけません。

本堂前に舞台があるほど、神楽などのイベントを盛んに行っているようです。

 境内は、在原業平当時の隅田川を模したもの。参道は業平橋、白州は隅田川とその上に浮かぶ歌遊びをする業平の船。知ると粋がわかってくるお寺です。そう広いとは言いませんが、盛りだくさんの記事で収まり切りません。一度訪れてみていただきたいお寺でした。