船形上村・夏祭り

今年も暑い夏、そして盛り上がる日がやってきました。地元の祭りです。

相嶋造園

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 神輿を担ぐ起源がいつからで、どうやって始まったのかは改めて調べてみたいと思います。
この地方で言われているのは、五穀豊穣を願い、茨城県にある大杉神社よりお札をいただき、それを担いで練り歩くというものです。神様は違えど、人々の願いはいつも同じようなことだと言えますね。
 最盛期は2機の神輿が出て、丸二日間続いたそうですが、一時期人口減少などとともに廃れてしまいました。
それを復活させたのが、我々の親の世代です。自分の父親やその当時の青年会幹部が願い出て、神輿を担ぐことを再び始めたのです。

 弁柄色の祭半纏が船形上村の色です。時代によって、出来あいのものを使うせいか海老茶色になったりしています。写真を撮るとたくさんの人がいるように思えますが、担ぎ手はぎりぎり。今ではたった半日のみの練り歩きにも関わらず、皆ふらふらになります。

 これも伝統芸能の一つ、松竹会のお囃しとひょっとこ踊り。お囃しには10代のお嬢さんも参加したり、それなりに活気があります。

 こちらは小学生の子供会による、子供神輿。女の子が中心というのが、なぜか世相を反映しているようで。
懐かしいことに、自分たちもこれを30年前担いでいたわけです。
 世紀は変わっても、人の営みはそう変わらないってことですね。と言いながら、昔と違い楽しいことや、選択できる事柄が増えました。以前は大杉祭礼は7月23日と決まっていたのが、今ではその周辺の土曜日になりました。
それでも人が集まらないのが現状です。
こういう行事はなくなるのが運命なんでしょうか?
自分の親たちが復活させた神輿をつぶすのは、その息子たちが責任持つしかないかと思ったりもしています。
今はまだ気力で続けていますが、何年か後、この写真を懐かしむ日が来るのかもしれません。

 以前、親戚の方から、アメリカ人の友人が担ぎたいと言っているのだけれどもよいか?という連絡をもらい、二つ返事でオッケーを出しました。
 向こうの方は勉強熱心いらっしゃり、英語で「これは神事なのか?」とか「わっしょい、とはどんな意味なのか?」と聞いてきます。質問の意味を理解するのでも大変な自分に、頭でわかっても英語に変換して話す力はありません。
それが情けなく思いましたが、そのとき隣にいた先輩が、「お前、ここは日本なんだから日本語で聞け!」と突っかかりました。正直、萎縮していたことが情けないことだったと思わせられました。
 ここは日本、しかも伝統行事に自己のアイデンティティーを忘れてどうするのでしょう?
そんなことより楽しんで担ぎましょう!そんな会話をしながら、彼は最後の締めまで参加して、興奮して帰って行きました。
 もし、今この祭が残す意味があるとしたら、人と人をつなぐ強制的なイベント、と位置付けるべきでしょう。
やりたい、やりたくないではなく、そこに最初からあるものだから、年に一度くらいは近所の者同士、飲み交わしながら担ごうや。興味あるならよっといで。誰かれ構わず和を背負おうや!