将門の胴塚・坂東市’延命院’

史跡&オカルト好きな人間にとって、近くにあるなら必ず一度は訪れなければいけない場所です。

相嶋造園

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 平将門公は、常陸国(現在の茨城県)を拠点に名を轟かせた武将であり、最後は朝廷に弓弾くまでにその勢力を拡大した人物です。ちょうど’武士’という職業が歴史に登場するあたりの出来事でもあり、この名を知らない者もいないでしょう。
 あの有名な、神田にある将門の首塚では、様々なオカルトめいた話もありますし、死してから多くの伝説を残す人物でもあります。民俗学的に見ても、非常に興味深い話が多々あるのですが、それはここで触れるにはちょっとページが足りません。
いつか、どこかで将門伝を書いてみたいです。

反乱に敗れた将門の首は、京に送られましたが、残りの胴体が葬られているというのが、こちら延命院。

 このお堂の真後ろに、大きなカヤの木があり、その根元に将門の墓もあります。本尊は延命地蔵菩薩です。
表からお参りしたとき、同時に将門の墓にも手を合わせる形をとるようになっている、という見方ができるそうです。

 その横には朱塗りの見事なお堂があります。
’大慈大悲観世音菩薩’の札が立っていました。

 将門の胴体が葬られていから、そのあたりを将門山と呼ぶようになったと書かれていました。
 この奥は一般の墓地です。しかし、こういう石碑が建っていると、末裔の墓群のようにも見えますね。

 本堂の裏手を、横から見たところ。
大きなカヤのご神木があり、その前に、将門の墓があります。ちょうど写真の左手に、左側を向いている小さな墓がそうです。
手前は石碑です。
なぜかこのとき、正面から撮ってはいけないような気がして、これしか写真がありませんでした。

 残された将門の遺体をひそかに神田山の延命院境内に葬ったのが、この胴塚と伝えられています。この地は、相馬御厨の神領だったことからあばかれることなく、今におよんでいるといわれています。

 将門山の毘沙門天、有名なようです。

 朝廷からは逆族、民衆からは英雄、立場の違いからくる認識は、死後の扱いにも表れております。菅原道真とも同じですね。